東大阪市(石切剣箭神社~日下あたり)探訪(08.05.02)⑨丹波神社~大龍寺・・・

丹波神社   東大阪市日下町1-4-46
日下の人々から「丹波さん」と親しまれている「丹波神社」。祠の前に石の鳥居があり、いかにも社らしい。祠にある墓碑にある「平朝臣古祐」と称したこの人、曾我丹波守古祐は大阪西町奉行で2000石取りの旗本。寛永11年(1634)から万治元年まで25年間在勤した。その間、日下村の領主として数々の善政を行ったと伝えられている。
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明暦4年、万治元年(1658)に没したがその徳を慕い水神として尊敬する村人らにより、御所ケ池の岡の上に墓を作りその霊位を神と崇めて奉斎された。今もって曾我丹波守古祐の威徳を偲び、地元の人たちに大切にされ続けている。

大龍寺(郷学校跡、黄檗伽藍)   東大阪市日下町
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明治政府は、明治5(1872)年8月「学制」を公布し国民教育を推し進めた。日下村では、学制に先立って河州河内郡日下村、芝村、植附村、神並村、喜里川村、六万寺村の6ケ村連名の申請が堺県に出され、明治4年5月に西法寺(現存せず)に「小学校」が設置されている。
●総門
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当時は「郷学校」と称したが、当時の地域住民の教育への願いと期待の高さが伺える。当初は、教師2名徒百名ほどでスタート。明治5年7月には、生徒数も増え近くの大龍寺に移っている。
●仏殿
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大龍寺は、江戸時代の河内名所図会にも載っている由緒ある禅宗、黄檗伽藍の趣を今に残している名刹。
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瑞雲山と号し現在の伽藍は江戸時代に泰宗元雄禅師が大坂の商人天王寺屋を壇越として再興された。伽藍の中心をなす仏殿は元禄13年(1700)その南にある斎堂は元禄8年(1695)、総門は仏殿と同じ元禄13年に建てられたことが記されている。
●開山堂
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黄檗伽藍をよく残し、開山堂を含めた4棟が市の文化財に指定されている。
by barakan1 | 2008-05-16 20:58 | 旅日記
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