■鹽竈(しおがま)神社 (玉津島神社横に鎮座)
和歌山独特の青石をくり抜いて作ったようになっている祠は、海風蝕によって自然に出来たもので、祠の中には、小さな拝殿が設けられています。「安産の守護」として有名です。
祭神
鹽槌翁尊(鹽推神として古事記神代編に登場する。また製塩の法を伝えた )
由緒 もともとは玉津島神社の祓所で、興ノ窟(おきのいわや)、窟(いわや)神社などと言われていました。神社としてはあたらしく、1917年である。
●妹背山
玉津島神社は以前この島に鎮座していました。
●三断橋
入江に浮かぶ妹背山に徳川頼宣が多宝塔を建立するとき、中国の杭州の西湖の六橋を模して架橋されたといわれている。
●観海閣
観海閣は、古くから天の橋立、三保の松原と共に、天下の景勝地として知られた和歌の浦に立つ楼閣建造物です。
巻7-1217
玉津島見てしよけくも吾(あれ)はなし都に行きて恋ひまく思(も)へば
●海禅院多宝塔
慶安2年(1649)、紀州家初代藩主徳川頼宣の生母養珠院(お万の方)が、亡父徳川家康の33回忌追善供養のため、多数の小石に書写した法華経題目を妹背山に埋納しました。その上に建てた小堂に始まります。
その後、頼宣が養珠院(お万の方)を弔うため、明暦元年(1655)に多宝塔を建立されたと考えられています。
多宝塔は、高さ約13mの本瓦葺欅造です。
宝塔内には、巨大な題目碑を安置し、その背面には建立の由来が書かれています。