三室戸寺~万福寺~石田の杜・天穂日命神社探訪(07.06.26)⑦天穂日命(あめのほひのみこと)神社・・・

■天穂日命(あめのほひのみこと)神社  〔京都市伏見区石田森西町〕
石田の杜(いわたのもり)
●神社方向を山科川越しに(西→)   ●東→
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古代には伏見区石田地区は,「いわた」と呼ばれ,近江と大和を結ぶ街道の惜別の地として有名であった。この地にあった「石田の杜(いわたのもり)」は和歌の名所として知られ,「万葉集」などにその名がみられる。この石田の杜の故地が,現在の天穂日命神社付近とみられる。
●神社入口
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当社は近世には石田神社,田中神社などと呼ばれていたが,明治10年(1877)に現在の社名に改称した。境内地は,東西70メートル,南北60メートルほどの範囲におよぶ。本殿は天明3年(1783)の造営で,市内に数少ない二間社流造の社殿であり,切妻造・桟瓦葺の覆屋に納まっている。
●境内・社屋
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本殿の脇に建つ摂社の春日神社,八幡神社,天満宮は小さな社殿で明治前期以前の建築とみられる。境内には十数基の石灯籠が立つが,多くは18世紀後半のものであり,この時期に境内が整備されたことがわかる。
●本殿覆屋・本殿
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天穂日命神社境内は,和歌の名所として知られた「石田の杜」に比定されている。市街化が著しい地域にあって,本殿以下の建物が樹林の中に建ち,全体として良好な環境を保っている。
◆小学校側より(石田の杜)神社をみる
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巻13-3236 
そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良山越えて
山背(やましろ)の 綴喜(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡(わたり)
滝(たぎ)の屋の 阿後尼(あごね)の原を 千年に 欠くることなく
万代に あり通はむと 山科の 石田(いはた)の森の
皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 吾(あれ)は越え行く 逢坂山を

     右一首。
◆境内木立の中の天穂日命神社
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宇合(うまかひ)の卿の歌
巻9-1730 
山科の石田(いはた)の小野の柞原(ははそはら)見つつや君が山道越ゆらむ【通釈】山科の石田の小野の楢林を見ながら、あなたは今頃山道を越えてゆく のだろうか。
巻9-1731 
山科の石田の杜に奉幣(たむけ)せばけだし我妹に直(ただ)に逢はむかも

※石田駅から、反対方向に歩いた為、直ぐ側にある神社へ着くのに、大変な大回りをしてしまった。祖の一番の原因が『杜」というからさぞ立派な森があるんだろうと・・・大きな木を探して歩いたのだが・・。全く景色が変わり、杜はおろか付近は住宅に覆い尽くされて見通しさえ聞かない状態であった。その先入観が道を間違わせた原因だ。それにしても、神社の中はそれなり木々があり静寂さが保たれて入るが、余りにも都会化しすぎてすこし、ガッカリしたというのが偽りの無い所である。昔の雰囲気を保つということがいかに大変かということを心から感じます。
by barakan1 | 2007-07-15 20:17 | 旅日記
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