藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)④畝尾都多本(うねびつたもと)神社・・・

■畝尾都多本神社(うねびつたもと)  式内社  橿原市木之本町
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祭神:泣澤女神
香久山の西北「泣澤女神の杜」の中に南面して鎮座しています。
祭神の泣澤女神は、古事記によると、国生みの最後の段階で伊邪那美命が火の神を生んで陰部を焼いて亡くなったのを、父の伊邪那岐(いざなぎ)命が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。
●神社正面より
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桧隈女王の泣沢神社を怨むる歌(万葉集巻2-0202)は、持統天皇の十年(696)七月十日薨じられた高市皇子の延命をここの神に祈ったのが、聞きいれてくれなかったとの歌意であるが、白鳳のころ既にこの神社が存在していたことを示すものである。
★★万葉集
巻2-0202 
或る書の反歌一首
泣沢の神社(もり)に神酒(みわ)すゑ祷祈(いの)れども わが大王は高日知らしむ
右一首、類聚歌林に曰はく、檜隈女王の、泣沢神社を
怨むる歌と言へり。日本紀を案ふるに云はく、(持統天皇)十年
丙申秋七月辛丑朔庚戌、後皇子尊のちのみこのみこと薨りましぬと言へり。
●神社入口鳥居
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拝殿の向こう内庭を含む神域は、三方が玉垣で、背面が土塀になっている。祝詞舎は切妻造り瓦葺。正面から見ると、神殿としての様式を備えたように見えるが本殿はない。啼澤女命とある自然石の石標が立ち、中門をはさんで、板塀瓦葺(元は土塀であった)の神垣の中に、人頭大の自然石で積まれた内径136センチメートルの古井泉が御神体になっている。かつて依代であったと思える玉だすきの切株がその手前に残され、太古の祭祀形態を偲ばせている。
●拝殿
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以前は神域をとり囲んで、幅約一間(1.82メートル)の堀があったという。磐余池とともに、天香久山の周辺にあった埴安池へ注ぐ飛鳥川の水源になる地下水脈の一つのあらわれでないかとの説もある
●拝殿側より見る    ●玉垣内御神体(空井戸で、覆いが被せてある)
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神殿はなく、玉垣で囲んだ空井戸を神体とし、境内には、末社の八幡神社が鎮座しています。
●境内社???            ●稲荷神社     八幡神社 
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ー神社ふり~くーより抜粋
by barakan1 | 2007-06-19 11:20 | 旅日記
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