藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)②藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)・・・

■藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
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持統8(694)年から和銅3(710)年の平城遷都まで三代にわたる宮跡。中国にならって条坊制を用いた、わが国初の本格的な都で大和三山のほぼ中央に1km四方の宮城が造営された。
●大極殿(北→南)  左・天香具山   右・畝傍山
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律令国家の確立をめざした天武天皇の遺志を、夫人の持統天皇が継ぎ完成させたもの。
近年の発掘調査で藤原京は従来、考えられていたエリアよりはるかに広大なスケールであったことが判明した。これによると京域は東西約5.3km、南北約4.8km、碁盤目状の道路で整然と区画され、後の平城京、平安京をしのぐビッグな古代都市だったという。
●大極殿(北東方向に見る)
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現在、宮跡は広々とした草原状になっているが、大宮土壇と呼ばれる大極殿跡(木立が目印の土壇)、内裏(だいり)跡、朝堂院跡、役所跡などが土中に埋もれているのである。
ーK's PLAZAーより

■藤原宮跡中央より西北東南と見る
●西(左畝傍山、右二上山)
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藤原の宮営(つく)りに役(た)てる民のよめる歌
巻1-0050 
やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子
荒布(あらたへ)の 藤原が上に 食(を)す国を 見(め)したまはむと
都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに
天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の
衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく 檜(ひ)のつまてを
物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに
鴨じもの 水に浮き居て 吾(あ)が作る 日の御門に
知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より 我が国は 常世にならむ
図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に
持ち越せる 真木のつまてを 百(もも)足らず 筏に作り
泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし

●北(左・耳成山、右・大極殿)
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藤原の宮の御井の歌
巻1-0052 
やすみしし 我ご大王 高ひかる 日の皇子
荒布の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて
埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし 見(め)したまへば
大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に
青山と 茂(し)みさび立てり 畝傍の この瑞山(みづやま)は
日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます
耳成の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門に
よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は
影面(かげとも)の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける
高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の
水こそは 常磐(ときは)に有らめ 御井のま清水

●東(天の香具山)
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持統天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
巻1-0028 
春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山
●南(飛鳥方向)
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詠み人知らず
巻1-0053 
藤原の大宮仕へ顕(あ)れ斎(つ)くや処女が共は羨(とも)しきろかも
●畝傍山二景(左・発掘調査中)
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by barakan1 | 2007-06-17 12:27 | 旅日記
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