北・山之辺の道探訪(07.05.23)④影姫伝説・布留の高橋あたり・・・

■布留の高橋あたり
●布留大橋からの布留川    ●石上神宮から布留高橋への道
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■影姫伝説
武烈天皇が皇太子だった時、大臣平群真鳥(へぐりのまとり)は国政を擅断(せんだん)し、数々の無礼をはたらいた。ある日、皇太子は物部麁鹿火(もののべのあらかひ)のむすめ影媛を娶ろうと思い、仲介の者を影媛の家に遣った。ところが影媛は、すでに真鳥の息子鮪(しび)と情を交わしていた。影媛は「海石榴市(つばきち)の巷でお待ちしています」と返事をしたので、皇太子はそこへ出掛けていった。市では歌垣が行われていた。皇太子は影媛の袖をとらえ、ついて来るように誘った。そこへ鮪がやって来て、二人の間に割って入ったので、皇太子は影媛の袖を離し、鮪との間で歌を応酬した。皇太子は鮪の歌によって鮪がすでに影媛を得たことを知り、顔を赤くして怒った。この夜、皇太子は大伴金村の家に行き、兵を集める相談をした。金村は数千の兵を率い、鮪を捕えて奈良山で処刑した。影媛は奈良山まで追ってゆき、鮪の処刑されるのを見た。驚き混乱し、目に涙があふれた。そこで「石上…」の歌をよみ、鮪のしかばねを土に埋めた。家に帰ろうとした時、むせび泣いて「なんと苦しいこと。今日愛しい夫を失った」と言い、再び涙を流して「あをによし…」の歌をうたったという。ー千人万首よりー
●布留高橋への道
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武烈天皇 ぶれつてんのう
別名:小泊瀬若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)
(日本書紀歌謡92)
琴頭(ことがみ)に 来居る影媛 玉ならば 我(あ)が欲(ほ)る玉の 鮑(あはび)白玉
★琴を弾くと、琴のそばに神が影となって寄ってくるという。その影という名の影媛は、玉に喩えるなら、鮑の真珠だ。俺はその白い玉が欲しいのだ。
影姫
(日本書紀歌謡 93)
大王の 御帯の倭文服 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに
★皇子(大王)の御服の帯が結び垂れ、(その誰でもなく)誰も心に思っておりません(鮪の臣以外には)。
●布留の高橋
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そこへ、鮪(しび)が影姫と皇子の間に立ちはだかり、
大王と鮪(しび)の間で歌のやり取りがあった後、
鮪の臣
(古事記歌謡 107)
大王の 心を緩み 鮪の臣の 八重の柴垣 入り立たずあり
★皇子(大王)の心がだらしないものだから、私の厳重な塀(柴垣)の中には、入れないでいるぞ。
大王
(日本書紀歌謡 89)
大太刀(おほたち)を 垂れ佩き立ちて 抜かずとも 末は足しても 遇はむとぞ思ふ
★俺は大きな太刀を腰にさげたまま、抜くことはしない。そんなふうに、今は我慢しよう。だが、あとで、この借りはたっぷり返してもらって、何度も媛を抱くつもりだぞ。
●布留の高橋
柿本人痲呂
万葉集 巻12-2997 
石上(いそのかみ)布留(ふる)の高橋高々に妹が待つらむ夜そ更けにける
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影媛 (かげひめ)
(日本書紀歌謡 94)
石上(いすのかみ) 布留(ふる)を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ 物多(さは)に 大宅(おほや)過ぎ 春日(はるひ) 春日(かすが)を過ぎ 嬬籠(つまごも)る 小佐保を過ぎ 玉笥(たまけ)には 飯(いひ)さへ盛り 玉椀(たまもひ)に 水さへ盛り 泣き沽(そぼ)ち行くも 影媛あはれ
★石上の布留を過ぎて、高橋を過ぎ、大宅を過ぎ、春日を過ぎ、佐保を過ぎ、お供えの美しい食器にはご飯まで盛り、美しいお椀には水さえも盛って、泣き濡れて行くのよ、私。影媛、ああ可哀相に。
●高橋下布留川の谷と滝
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(日本書紀歌謡 95)
あをによし 乃楽(なら)の峡間(はざま)に 鹿(しし)じもの 水漬(みづ)く辺隠(へごも)り 水灌(みなそそ)ぐ 鮪(しび)の若子(わくご)を 漁り出(づ)な 猪(ゐ)の子
★奈良の谷間で、射殺された獣のように、水がひた寄せる岸辺にひっそり斃れ、水びたしになっている、鮪の兄さん。それを探し回って、あばき出すようなことはしないで、猪さん。
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ー千人万首ーより
★※橋もコンクリート製で風情も情緒もあったものでは在りませんが、それでも眺める角度により充分古を偲ぶ事ができます。その情感を得ようと谷に下って川の側から写真を撮ろうとしたところ、あまりにも上を見すぎて川の中へはまってしまいました。これも影姫の怨念でしょうか?
by barakan1 | 2007-06-06 12:13 | 旅日記
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