■河上山若宮八幡神社 三重県一志郡美杉村河上
●369号から神社への道 ●参道
深い谷あいに分け入って行くと仁徳天皇とその皇后・磐之姫(いわのひめ)の遺徳をしのんで、1500年余り昔の履中天皇の時代に創建された川上山若宮八幡神社が建っている。
●神社入口・鳥居
室町時代には北畠氏、江戸時代には津藩主・藤堂氏の崇敬が篤かった。一方、今も昔も庶民の神として信仰を集め「川上山」「若宮さん」「川上八幡さん」「若美や八幡さん」などと親しみを込めて呼ばれている。
●社務所前鳥居 ●石燈籠 ●参道石段 ●参道神杉
祭神 大鷦鷯命【おおさざきのみこと】(仁徳天皇)
磐之媛命【いわのひめのみこと】
素戔鳴尊【すさのおのみこと】
誉田別命【ほんだわけのみこと】
●石段途中・眼力社 ●巳神
境内社
小宮社(祭神:火之迦具土神 他)
不断社(祭神:水分大神 他)
不動社(大山津見大神 他)
高宮(伊勢大國魂神、丹生都比賣神 他)
立石社(天之水分大神 他)
●拝殿全景
当社創立の年代は詳かではないが、社伝によれば、当地は大和宮廷から伊勢神宮への勅使往来の通路であったが、更に家城から奥の地は岩野郷と称して磐之媛皇后の御領地で、仁徳天皇はこの郷の開拓に努められた。そのため履中天皇の御宇(西暦5世紀初)郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の御遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓、雲出の川上水源の清地を選んで祠を設け、その二柱の御霊を祀ったのが当若宮八幡宮である。
それより以前、太古より、修験業山の自然の磐座である高宮【こうのみや】に鎮座の天津神、国津神八百万神を尊崇してきた。これが当社創立の淵源である。(三重県神社誌による)
●拝殿横・小宮社(この狛犬はチョット迫力がありました)