五条市探訪③探訪(06.12.06)⑤井上内親王墓~丹原 御霊神社・・・ 

■井上内親王墓    奈良県五條市御山町 宇智陵
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井上内親王は聖武天皇とその夫人県犬養広刀自の間に生まれました。弱冠十六歳で不審の死をとげた安積親王、および恵美押勝の謀反に擁立された塩焼王の妻不破内親王の同母姉に当り、光仁天皇の皇后でありましたが、
宝亀三年(772)光仁天皇の后井上皇后が自分で生んだ皇太子他戸(おさべ)親王とともに光仁天皇を呪詛したとする事件が起こりました。それにより井上皇后は后の地位を剥奪されたばかりか、他戸親王も皇太子を廃されてしまいました。
しかも、他戸親王のライバルであった山部親王(のちの桓 武天皇)が皇太子として立てられました。その間に光仁天皇の姉の難波内親王が死去するにおよんで、井上皇后がまたもや「厭魅大逆」を行って呪殺したと讒訴されました。
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讒訴により、井上皇后と他戸親王の母子は大和国宇智郡須恵庄の土牢に幽閉されてしまいます。その後、井上皇后他戸親王とも日を同じくして幽閉のまま奇怪な死を遂げられてしまいました。二人の死が極めて不自然で、そこに政治的隠謀のあるらしいことがうかがわれますが、当時も世間にはさまざまな風評が流れたようです。山部親王を皇太子に擁立した藤原百川が急死するにおよんで、井上皇后が怨霊となって祟ったという噂が広まったのです。
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その怨霊を人一倍恐れたのは、桓武天皇でした。怨霊を篤く敬わないと自分の命が危ないと案じ平城宮から長岡京に遷都を行いました。それだけでは安心できず、井上皇后に皇太后を追贈しましたが、祟りはなおやまないので、天皇は怨霊をしずめるために井上内親王を神に祀り、宇智郡一円を敷地にしました。
延喜式に「皇后井上内親王、大和国宇智郡に在り兆域東西十町、南北七町、守戸一 烟」とあるのがそれで、現五條市御山町(旧南宇智村御山)にある宇智陵がその山陵に比定されています。その北には他戸親王の墓も比定されています。神社ふりーく
★※五条市にある22の御霊神社の祭神である井上内親王が葬られています。御霊神社の発祥の大元ともいえる場所です。内親王の墓が改葬されてここが山陵となり、その後竜安寺町に内親王を祀る神社・寺が創られたそうです。

■丹原 御霊神社    奈良県五條市丹原町473
祭神 井上内親王
●神社正面
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丹生川の西岸、国道168号線に沿った西方に鎮座する。もと八幡宮と称していたことから、八幡社に御霊社を奉祀したと考えられ嘉禎四年(1238)に霊安寺の本宮より勧請。
神域は樅(もみ)その他古木の茂みの中にあり、今は枯死しているが、つい近年まで県指定天然記念物の楠の大木があったという。旧村社。
五条市探訪③探訪(06.12.06)⑤井上内親王墓~丹原 御霊神社・・・ _a0016431_13323615.jpg正面割拝殿の花筒三基は「慶応三卯(1867)正月吉日 施主当村下田すて」と「元冶二乙丑(1865)正月吉日」と「文久三年(1863)亥」の奉納である。昭和五十七年八月の豪雨で大破し、改築された拝殿は、切妻造桟瓦葺で、向う側神域も昨年の改築で、三方堅固な白壁瓦葺の玉垣に囲まれている。


●本殿と境内社
●稲荷神社・御獄神社・住吉神社 ●本殿  ●八幡神社 ●八坂神社
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本殿は流造銅板葺一間社で、朱塗に極彩色を施してある。棟札によると、嘉永五年(1852)十二月、明治四年三月にそれぞれ坂合部郷神主馬場日向守の奉仕で遷宮されている。最近では昭和二十四年六月に造営された。
例祭は十月二十三日。当日は『延喜式』登載の式内丹生川神社へ神輿が渡御する。
by barakan1 | 2006-12-12 13:40 | 旅日記
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