天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑦和邇坂下(わにさかもと)伝承地~六地蔵・・・

■善福寺の地蔵さん(和邇坐赤坂比古神社の隣り)
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■和邇坂下(わにさかもと)伝承地
●伝承地への道
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古事記や日本書紀には、和邇坂下あるいは和邇坂とよぶ地名があります。日本書紀神武天皇に関する記述には「和邇坂下に巨勢祝(こせのはふり)という者あり」とあります。これは神武天皇が大和を平定した際に逆賊として倒された巨勢祝という土豪が、和邇坂下に所在していたことを示しています。
●伝承地付近
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古事記の応神天皇に関する記述には和邇氏の娘、宮主矢河枝比売(やかはえひめ)との出会いが記載されています。和邇氏がもてなす宴会で披露した天皇の長歌の中に「・・・櫟井の和邇坂・・・」とあります。櫟井は、現在の櫟本付近の事で和邇坂がこの地域まで含まれる地名であったことが分ります。また崇神天皇に反旗した山代の武埴安彦を征伐する説話があります。古事記には「丸邇臣の祖、日子玖命を副えて遣わしし時、即ち丸邇坂にイワイベを据えて罷り往きき」とあり、和邇氏の祖人、彦国プクが武埴安彦の征伐に出陣する際に戦勝祈願を和邇坂行っていたようです。  -天理市教育委員会ー
●和邇坂下(わにさかもと)伝承地の碑
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古事記(応神天皇の記述)
【由来】近江国行幸の時、応神天皇は木幡村(山城国宇治郡)で美しい少女に出逢った。名を問うと、宮主矢河枝比売(やかわえひめ)と名乗った。天皇は「明日帰って来たら、お前の家を訪ねよう」と言った。比売が家に戻って父にこの話をすると、父はその人が天皇であると察知し、家を飾って饗宴の席を設けた。翌日、天皇は約束通り矢河比売の家を訪問した。比売が盃を献ると、天皇はそれを受け取る前にこの歌を詠んだ、という。その後、二人は結婚し、宇治若郎子をもうけた。

大御饗(おほみあへ)を献る時に、その女(むすめ)矢河枝比売(やかはえひめ)に大御酒盞(さかづき)を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、
御歌よみしたまはく
この蟹や いづくの蟹 百伝(ももづた)ふ 角鹿(つぬが)の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅(いちぢ)島 美(み)島に著(と)き 鳰鳥(みほどり)の 潜(かづ)き息衝(づ)き しなだゆふ 佐佐那美道(ささなみぢ)を すくすくと 我が行(い)ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子(をとめ) 後方(うしろで)は 小蓼(をだて)ろかも 歯並はし 菱なす 櫟井(いちゐ)の 丸邇坂(わにさ) の土(に)を 初土(はつに)には 膚赤らけみ 底土(しはに)には に黒(ぐろ)き故 三栗の その中つ土(に)を 頭著(かぶつ)く 真火には当てず 眉(まよ)画き 濃(こ)に書き垂れ 遇はしし女(をみな) かもがもと 我が見し児に かくもがと 我が見し児に 現(うた)たけだに 向かひ居るかも い副(そ)ひ居るかも(古事記)

【通釈】「そこ行く蟹さん、どちらの蟹さん?」「遠い遠い、敦賀の蟹だよ」「横歩きして、どちらへお行き?」「伊知遅島、美島に着いたら、カイツブリみたいに一息ついてさ、それから楽浪(ささなみ)へ向かう道を行くのさ。で、俺様が昨日その道をどんどん歩いて行ったらさ、木幡の道で、お嬢さんに逢ったよ。後ろ姿は楯みたいにスラリとしてたなあ。歯並びは真っ白で粒揃い、まるで椎か菱の実のよう。櫟井の丸邇坂の赤土を掘るだろ、初め出て来る土は色が赤っぽくて、底の方の土は黒っぽい。だから真ん中の良い土を採ってさ、直火にはあてずに炙(あぶ)って、黛を作って、それで眉を描いて、濃く切れ長に描いて、そうして俺様とばったり出逢ったご婦人さ。ああもしたいと思って、俺様が見たお嬢さん、こうもしたいと思って、俺様が見たお嬢さんとさ、いま楽しい宴の席で、向かい合っているんだよ、寄り添っているんだよ」。ー千人万首ーより

■六地蔵
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この地蔵は森本寺山遺跡の中にあり、昔は大和郡山市の共同火葬場のお迎え地蔵さんであったという。
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この少し奥にある、六体の地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の迷界から人々を救うために、六つのお地蔵さんを立てるのだと言われています。  -天理市ー

※何ともいえない良いお顔をされています。
明るい田園地帯で、穏かなお顔をみると何だか、ホッとしますね!
by barakan1 | 2006-09-21 20:33 | 旅日記
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