葛城市(当麻~尺土~新庄)~御所市探訪③(06.08.22)①コース概要~加守廃寺跡・・・

●風の森神社よこに咲く花
葛城市(当麻~尺土~新庄)~御所市探訪③(06.08.22)①コース概要~加守廃寺跡・・・_a0016431_12574528.jpg■葛城市(当麻~尺土~新庄)~御所市探訪コース概要
9時半自宅出発~葛城加守神社(廃寺跡)~皿池古墳~神明神社古墳~蛇穴・野口神社~吉祥草寺~考安天皇陵~神武天皇社~天津岩戸別神社~寺戸・八幡神社~かぜの木淡島神社~風の森神社~30号線を通って帰宅18時半着。走行100キロ
今日の探訪では初めて、激しい雷雨に遭う。カメラのレンズは曇るは!で、往生しました!!

■加守廃寺跡
●加守神社への上り口と二上山
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二上山を詠める万葉歌
大津皇子の屍(みかばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたがみやま)に移し葬(はふ)りまつれる時、大来(おおく)皇女の哀傷(かなし)みてよみませる御歌二首
巻2-0165
うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む
巻2-0166:
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに

葛城市(当麻~尺土~新庄)~御所市探訪③(06.08.22)①コース概要~加守廃寺跡・・・_a0016431_1323875.jpg神(かん)さびた加守神社の右手の小道を登ると、池の脇に平地があり四天王堂が建っている。そこに「県指定史跡 加守廃寺」の案内板があった。
(加守廃寺(かもりはいじ)は、専門家が「大津の鎮魂の寺だろう」と認める遺跡だそうです)
※四天王堂の横にゲートボール場があり、10数人のお年寄りが、暑いさなかゲートボールを楽しんでおられました
●四天王堂(この後方が廃寺跡になりますが、今は更地で何もありません)
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ここで横長の六角堂の跡が発掘された。多角堂は供養のために建てられることが多い。8世紀初めの遺構で、薬師寺縁起が「大津皇子のために建てた」とする掃守寺(かにもりでら)のあった場所と見て間違いあるまい。
●加守廃寺跡(山を背にして、建物の際になります)
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背後に雄岳山頂を望むロケーションといい、鎮魂の寺にふさわしい。当麻(たいま)山口神社の赤の鳥居が庶民の拝所だとしたら、こちらは朝廷の勅願寺(ちょくがんじ)といったところだろうか。ー朝日コム・マイタウン奈良ーより抜粋
※池のほとりに、ヒズメ石と呼ばれる石があるらしい。皇子を乗せて二上山頂から飛び降りた馬の蹄(ひづめ)で二つに割れた石だという。江戸時代の絵図に「神馬蹄石(しんめひづめいし)」と載っている。(この情報は知らなかったので、探しもせず廃寺跡を後にしました)
また、この近くからは古い人骨が見つかり、大津の皇子の骨ではないか?との伝承もあると!何処かで読んだ気もします・・・。いずれにせよ、歴史の夢の跡なのです。(この西方からは、国宝の金銅製の骨蔵器も見つかっています。
by barakan1 | 2006-08-24 13:21
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