紀の国(貴志川沿線)探訪②(06.07.12)⑬足守神社(あしがみじんじゃ) ・・・終

■足守神社(あしがみじんじゃ)   和歌山市東木枕 
●神社遠景
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祭神
足守大明神 紀伊名所図絵には 宇麻志阿志訶備比古遅神
●拝殿
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由緒 (頂いた由緒書きから )
覚鑁上人が山東の地に到った時、古木鬱蒼寂静幽遂にして自然の霊域たるを相見たものの、田畑の割には灌漑用水が少なく、水田の水が枯れて、農民が苦しいでいたのを見て取った。 貴志と山東の間の渓谷に大池を造る事となった。 郷土の人を叱咤激励しつつ、自らも労役に服した。大池の完成を見て、郷人覚鑁上人の高徳を慕った。上人去るに当たり、桜の木で上人苦行の像を刻み胎した。 木枕(こまくら)の語源と言う。
●拝殿・左足守観音寺本堂
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                             ●覚鑁堂
紀の国(貴志川沿線)探訪②(06.07.12)⑬足守神社(あしがみじんじゃ) ・・・終_a0016431_1292676.jpg大池の工事中に、足を痛めて工を怠る者、日増しに増えてきたので、都の愛宕山足千現大明神を統治に勧請され、石室に奉安して足守大明神と称した。 足痛の者祈念すれば、病者平癒せざるはなかったと言う。その後、社殿を建立して観音寺と号した。以上由緒書きから
※紀伊続風土記には観音寺は浄土宗西山派西応寺の末社で、鎮守に足神社、足守神と言うとある。
●本殿
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紀伊名所図絵には、足守明神祠とある。
土人は伊太祁曽神社に流鏑馬を献上すべく来る人馬の足を損ぜざるを祈請する事から足の健やかさを守る神としているが、足守のアシは宇麻志阿志訶備比古遅神で、 古事記にある、国若く、浮かべる脂の如くして水母なす標へる時に、葦牙のごと萌え騰る物に因りて成りませる神として出る神としている。
●本殿
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神仏習合の姿のまま存在している。小祠の前には藁草履が奉納されており、横には松葉杖などが納められている。 足の病の治った人々が絵馬と言えるのか、金属製の草履をひとそろい奉納している。ー神南備にようこそーより
●拝殿に奉納されている金属製草鞋の額
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御無想灸施療祭(足守神社大祭)
毎年7月第一日曜日がお祭り。祈祷はもちろん、覚鑁上人がお告げによりはじめた、「灸すえ」(灸治療)が行われる。 
※先日偶然、テレビでこの神社とこのお祭りのことを放映していました。お年寄りが沢山本堂で、お灸を受けている映像でしたが、地元では結構有名なお祭りみたいですね!それにしても、細い道の奥の、丘陵の上にあるので、車で最後まで行けるか心配しました。(普通車では無理です!)
by barakan1 | 2006-07-22 12:20 | 旅日記
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