古山陰道(精華町~京田辺市)探訪(06.05.20)⑧寿宝寺・山本駅跡碑・・・
◆薬師山古墳より山背古道を見る(薬師山古墳より)
実際、山背古道を歩いている時は、全く歌のように厳しいとは思わなかったが、こうして、遠くから全体を見通すとなかなか厳しい道だなぁと思われる。
◆寿宝寺裏より(飯岡・山背古道古道)をみる
巻13-3314 
つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(づま)の 馬より行くに
己夫(おのづま)の 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ
そこ思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と吾(あ)が持てる 
まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負ひ並め持ちて 馬買へ我が背

■開運山寿宝寺  京都府京田辺市三山木塔ノ島廿番地
開運山寿宝寺は,高野山真言宗の寺院であり人皇第四十二代文武天皇慶雲元年(704)の創建で,昔は「山本の大寺」と称し 七堂伽藍が備って和泉川(現在の木津川)ぞいの平野に梵鐘の響きを伝える大きな寺であった。
●山本駅碑                 ●山門
しかし東方を流れる和泉川の度々 の大洪水により建造物を流失したので,それより西方に「一佛寺」を建てた。その後,正長元年(1428)八月二日の大洪水で 「佐牙・若松両社」廃壊,「一佛寺」も流水したが,永亨三年(1431)石戸村の西山を開発し,現在の「佐牙神社」境内にあ った法楽寺(三山木の廃寺)に観音堂を建立し一佛寺の残仏(十一面千手観音立像など)を安置した。
●本堂

寿宝寺は,かつてあった一 佛寺の北西およそ四百メ―トルの現在地に亨保十七年(1732)四月十七日創建され現在に至っている。なお,
観音堂に安置さ れていた十一面千手観音立像は,明治初年の神仏分離令により寿宝寺へ移された。ー京田辺市観光協会ー
十一面千手千眼観音立像は
葛井寺(大阪)、唐招提寺(奈良)の千手観音とともに三大名作とされている。



●山本駅(やまもとのうまや)跡碑
付近に山陰道の宿所として山本駅(やまもとのうまや)が置かれたため、「山本の大寺」として信仰をあつめた。『續日本紀』巻第五の元明天皇和銅四年(七一一)条に「四年春正月丁未始置都驛 綴喜郡山本驛(以下略)」とあり,その「山本驛」に関係あると見られる道中・荒馬・垣内の地名 が残っている』
(寿宝寺は馬駅跡に建てられています)
巻14-3439 
鈴が音(ね)の早馬馬駅(はゆまうまや)の堤井の水を賜へな妹が直手(ただて)よ
※むかしむかし、この馬駅(うまや)でも、
キッと、このような情景が繰りひろげられたのでしょうね!?
by barakan1 | 2006-05-28 10:27 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
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