■霊宝山 玉台禅寺 臨済宗妙心寺派 山城町大字椿井小字天敷堂37
玉台寺はもともと真言系寺院で、狛の弁才天社の宮寺として、山城国一揆の中心となった国人, 狛氏の保護下にありました。
●直進狛弁財天・家の先を左高尾神社 ●狛弁財天への道
江戸時代に入り、狛氏がこの地を去ると、廃れてきましたが、妙心寺の僧智、堪和尚がこの地に入り 荒廃した玉台寺を再建し、今日に至っています。 本尊の十一面観音立像は室町時代の作とされます。小高い山の中に建つ境内は静寂に包まれています。
※禅寺はどこでもそう感じるのですが、構えがあっさりしているというか、飾らないというか、来るなら来なさい、観るなら観なさいと言われているような風情で山の中に佇んでいます。世間ずれしていない、かといって無関心ではない!!温かい静寂!?こんな雰囲気、私は好きですね!!
山城はタケノコの名産地。寺への道すがらも、収穫から免れたタケノコが至る所で頭を出していました。
■狛弁財天 (玉台寺に入り、本堂右奥に鎮座)
一族の守護神として、狛野荘《こまのしょう》の荘官をしていた狛但馬守頼久《こまたじまのかみよりひさ》が永享《えいきょう》九年(1437年)に造営したものであると伝えられています。
現在は霊宝山玉台寺の境内に祀られ、狛の弁天さんとして親しまれています。玉台寺境内からは遠く奈良・生駒の連山が遠望でき、古くから景勝の地として有名です。特に桜の季節は素晴らしい風景を見ることができます。(八重桜だけが少し残っていました)
●狛弁財天社弁才天像【こまのべんざいてんしゃべんざいてんぞう】
この像は通例の八臂の坐像で、前後に矧ぎ寄せられた頭部の、後頭部内面と玉眼押え木に墨書柄があり、天正六年(1578年)に南都を中心に活躍した仏師集団・宿院仏師の源三郎らによって造立されたことがわかっています。
ーやましろ観光マップーより