柳生街道(滝坂の道)探訪(06.04.03)④峠の茶屋~地獄谷石窟仏・・・

■峠の茶屋
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柳生街道(滝坂の道)探訪(06.04.03)④峠の茶屋~地獄谷石窟仏・・・_a0016431_13105212.jpg八柱神社を東へ向かうと直ぐ石切峠(標高450m)の手前に、創業180年の「峠の茶屋」があります。確かに、まるで時代劇に出てきそうな佇まいの茶店です。戸が閉まっていたもので前をウロウロしていますと、この家のご主人か?出てこられて、やっていますよ!と戸を開け、声を掛けていただきました。この茶店で一服しようと思っていましたので助かりました。
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薄暗い土間を入って居間の鴨居を見上げると、槍と火縄銃がガラスケースに治められて飾られています。これらの鉄砲等は昔の武芸者が飲み代のカタに置いて行かれたもので、神道無念流を図解した武芸帳もあります。
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私は草餅を頂きましたがその保管してあるケースが余りにも、時代掛かっているので、思わずこれも写真にとってしまいました。
●石切峠から道             ●峠の茶屋
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ここまで辿ってきた集落の誓多林(せたりん)や、大慈仙(だいじせん)の名前は婆羅門僧菩提遷那(ぼだいせんな)がインドの聖跡からとったそうです。

■聖人窟の国史跡「地獄谷石窟仏」
茶屋の前を西に「石切峠」のほうへ少し歩くと「地獄谷石窟仏」への案内板が出ています。
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現在は通行止めにあっていますが、折角ここまできたので私は谷のほうへ下りました。山の尾根を這う道で、かなり急勾配の道です。
●地獄谷の崩落したハイキング道(鎖につかまり渡りました・右写真)
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下り切ったたにぞこで、道が3,4メートル崩落していました。立ち入り禁止はこのためだったようです。確かに、鎖が掛けてありましたが、女子供には少し無理なようです。私は、ぶら下がりながら何とかこえましたが・・・(昔沢歩きをしていた時の経験が生きました)。
●地獄谷石窟仏
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ここから少し登った所に「地獄谷石窟仏」があります。




●左窟                        ●右窟
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山肌に彫って鉄格子と金網に囲まれ、正面の3尊は身体部分に金箔を施し、向かって左から薬師如来、盧舎那仏(るしゃなぶつ)、観音菩薩で、
●右側石窟
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●左側石窟
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更に右側の壁に彫られた1体が妙見菩薩と云われ、大仏殿の建立時の石工か、平安時代末期に大乗院の僧が彫ったらしいです。

■地獄谷国有林、昔は奈良の「捨墓」でした。
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面積103ヘクタールの「地獄谷国有林」は、現在水源かん養保安林であり、保健保安林ですが、奈良時代から江戸時代以前、戦国末期までは、庶民は墓を造らず、死体を野ざらしにし、ここが奈良の捨墓(すてばか、山墓)であったそうです。ー奈良観光より抜粋ー
by barakan1 | 2006-04-07 13:34 | 旅日記
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