古市・太子町の古墳古寺社探訪(06.03.15)③東高野街道~蓑の辻~西淋寺~鍵屋跡~石川河川公園・・・

■東高野街道~蓑の辻
安閑天皇陵から東高野街道を北に向って歩くと、竹内街道と、東高野街道が交差する「蓑の辻」に出会う。この辻隅に石造りの道標がある。深々と彫られた文字は、「左大和路」「右大坂」。又この角には、大正ロマンただよう、古市商工会館が建っている。
●東高野街道
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●蓑の辻・道標&商工会館
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ここを奈良に向け東進すると、百済から渡来した王仁の子孫、西文氏が住んでいたという西淋寺がある。
■西琳寺(さいりんじ)
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羽曳野市古市、竹内街道と東高野街道が交わる蓑の辻の北東すぐに、飛鳥時代(7世紀前半)に創建された西琳寺(さいりんじ)があります。




●山門
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寺伝では百済から渡来した王仁(わに)の子孫である西文氏(かわちのふみうじ)が、欽明天皇の頃(6世紀中ごろ)に建てた寺とされている。これまでの発掘調査によれば、東に塔、西に金堂を置いた法起寺式伽藍配置が推定され、境内には舎利孔と添柱穴をもつ巨大な塔心礎が残っている。
●塔心礎                    ●叡尊五輪塔
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古市・太子町の古墳古寺社探訪(06.03.15)③東高野街道~蓑の辻~西淋寺~鍵屋跡~石川河川公園・・・_a0016431_17542798.jpg●金堂の棟を飾っていたと考えられる鴟尾は高さが1.3mあり、腹部に宝珠、火焔宝珠、蓮華紋などを浮き彫りにした、類例の無い優品である。鎌倉時代には奈良最大事の僧叡尊が中興し、広い寺領を所有して隆盛をきわめた。

※羽曳野の伝説(埋蔵金の眠る町)
南河内デジカメ散歩(河内発見伝)より抜粋
この西淋寺には、万が一の時の復興資金として「黄金の平瓦」二枚が蓄えられていました。ところが天正三年(1575)四月、織田信長の河内攻めの際、多くの寺宝と共に黄金の平瓦二枚も井戸に投げ込んで隠し、織田軍の略奪から免れたと言われています。
当時の西淋寺には五つの井戸があり、そのうち三つの井戸は発掘されているのですが、残念ながら黄金は発見されませんでした。のこる二つの井戸はの場所は不明で、古の西淋寺の寺域の大部分が、現在では民家が建ち並び、古市の町の一部となっているところから、この町のどこかに黄金は眠っていると思われます。羽曳野市古市は、まさに埋蔵金の眠る町なのです。

■両替商鍵屋跡
●かつて羽曳野市の古市に江戸時代に両替商だった「銀屋」があった。その壁には廃船された剣先船の舟板が使用され、地域の観光スポットにもなっていた。
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それが2001年に宅地開発で取り壊されてしまいました。(保存の為の市民運動まで起きたようですが・・・、少々残念な気がします)
●鍵屋の写真
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■石川河川敷公園
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※いよいよ石川を渡って、飛鳥にはいってゆきます・・・。
by barakan1 | 2006-03-17 18:22 | 旅日記
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