岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)⑥荒田神社・・・

荒田神社 (式内社)   岩出市大字森237番地
◆境内案内板
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■御祭神
天疎向津姫命 気長足姫命 誉田別命 大山咋命 大山祇命 天忍穂耳命 大巳貴命 秡戸九柱神 市杵島姫命 素盞鳴命 菅原道真 香具都智命 大社命 大國主命 白髪命
◆正面鳥居
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■由来
当神社も天正の兵火のため、伝うる文書等は一つも存在していないが、『紀伊続風土記』に次の様に記され往時が偲ばれる。
「荒田神社、境内周二町四十間、祀神、高魂神、剣根命、拝殿、神楽所、御供所、攝社、丹生明神社、末社、二社 延喜式神名帳那賀郡荒田神社二座、本国神名帳那賀郡地祇従四位上荒田神、森、堀口、川尻、今中、西坂本、押川六箇村の産土神なり、古は岩出、山崎両荘の総産土神にて荘中の末社百二十社と言伝う、祀宇も壮巖に神職も九名あり、社領十町八反二畝ありしに天正の兵火に罹りて祀宇尽燒亡し、縁起寄附状宝物等皆紛失し社領皆没収せらる、是より神事祭礼廃絶す 且中古以来両部に祭りて社地に別当寺を置来たれり、寛文年中命ありて唯一に復して別当寺を外に移し、神事祭礼稍舊に復する事を得たり、此の神は式に二座とありて和泉国大鳥郡陶器荘にも、陶荒田神社二座と見ゆるに後世両部に祀りし等、改めしや宮居三社造となし来り、且地名弘田なるを以て攝津國廣田社と同神にて、天疎向津姫尊とし、神功皇后、譽田別天皇を合せ祀るといひて三座の数に合せたる説あれとも索強附会にして取るに足らず、神主を西堀氏という」とある。
ー和歌山県神社庁HP-より
◆拝殿
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■祭神高魂命は即ち高御産巣日神(古事記)であっ て、劔根命はその五世孫にあたり、その子孫に葛城直があ り、荒田直もその一族であって、「劔根命之後」である。
『名所図会』によれば、当社は「荒田の直が祖高魂命、お よび劔根命」を祀ったことになる。葛城直といえば、「九州日田の豪族として、神武天皇の東征に従」(『姓氏家系大 辞典』)ったと考えられ、おそらくは紀伊国とも無縁ではな かったろうし、荒田別は、紀伊国荒河戸畔の女を母にもつ 豊城入彦命(崇神天皇紀)四世の孫であって、鹿我別らと共 に、神功摂政四十九年(三六九)には、卓淳国に渡り、新羅 国を破った(神功皇后紀)武将たちであって、紀氏を代表す る紀水軍とも関係深かったと思われるし、更に摂社に「丹 生都比賣神」を祀っていることなどよりして、古代紀伊国 とも縁故深く、この地に祀られたものと考えられ、地方豪 族の尊信も高かったことと思われるが、これを證する資料 はない。    -『式内社調査報告』-
◆本殿(木造銅板葺流造 24,8㎡)
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※そんなに社格のある神社とは思っていませんでしたが・・・。式内社だそうです。そのため写真が少なくなりました。油断するものではありませんね。
幣制年、解体修理が完成し美しく生まれ変わりました。
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by barakan1 | 2016-03-12 14:25 | 神社仏閣探訪
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