湯浅大宮 顯國(けんこく)神社探訪 (2015-05-26)

湯浅大宮 顯國(けんこく)神社  〒643-0004 有田郡湯浅町大字湯浅1914番地
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★★祭神
大己貴命、須佐男命、櫛名田姫命、建御名方命、沼川姫命
★配祀神 
事代主命、豊玉彦命、豊玉姫命、大山祇命、天照皇大神、豊受大神、蛭子神、水波能女神、宇賀魂命、伊弉諾尊、伊弉册尊、金山彦命、菅原道真、素免神、粂崎王子神、住吉神、少名彦命、三筒男神、国常立尊、市杵島姫命
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★境内社 
若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、若宮神社
★飛地神 
辨財天神社、北恵比須神社、南恵比須神社、若宮神社
●境内案内板
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■由来
延暦20(801)年10月、坂上田村磨が紀伊國有田郡霧崎菖蒲の里に到って三神を崇敬し、正殿を造営して大國主大明神と称して祀ったのが当神社の創建である。
●外より拝殿・境内をみる
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その後、土豪湯浅権守藤原宗重が神々に対する尊信の念が厚かったことから、天養元(1144)年10月、湯浅村に社地を定めてこの森へ神殿を遷して顯國明神と改称した。
宗重は社地祭祈料として田園を寄進するとともに湯浅城鎮護の神社、近郷村の総鎮守大社と仰ぎ奉った。
社城・社殿ともに郡内でも宏壮であることから通称「大宮さん」と呼ばれた。
●拝殿・本殿
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寛文8(1668)年12月、紀州徳川家初代藩主頼宣より顯國大明神の社号を授かり、藩儒李梅溪に命じて華表の扁額を書かしめた。
その後、江戸へ発着毎に参詣する等厚く崇敬され、これが先規となり廃藩の際まで歴代藩主より鄭重に取り扱われた。
社記によると、延宝4(1676)年には第二代光貞(清溪院)、安永5(1776)年には第九代治貞(香巌院)、寛政6(1794)年には第十代治宝(舜恭院)、寛政11(1799)年と享和3(1803)年には当時隠居中であった第八代重倫(観自在院)が参拝している。
●境内社
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明治15年11月、有栖川宮幟仁親王殿下の御筆である社名の額が奉納されている。
明治16年4月、村社に列し、同40年6月神饌幣帛料供進神社に指定された。
昔、田中久郎助という者が馬を社前に集めて流鏑馬をしたのが、馬寄せの始めであると伝えられている。
明治の合祀令より当神社に祀られた神社は、若宮神社、若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、諏訪神社、久米崎神社、天神社、金比羅神社、疱瘡神社、住吉神社、妙顯神社がある。
●境内社 (若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、若宮神社)
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当神社の鎮守の森は、昔から「一夜の森」や「暁の楓」と呼ばれ、『南紀湯浅誌』の湯浅古跡に名を載せ、古くから神社鎮座の森なりと言い伝えられており、平安時代から鎌倉時代にかけて古熊野往還に沿っていたとされている。(和歌山県神社庁HPより)
※※久しぶりの探訪記です。書き方がを忘れ、チョッと時間がかかりました。(>_<)
5-26、湯浅玉市丸にイサギ釣りに来たおり、帰路に立寄り御参りしました。湯浅に来る度に気にはなっていましたがヤット、訪ねることが出来ました。>(^_^)v
by barakan1 | 2015-07-05 15:55 | 神社仏閣探訪
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