■大伴黒主神社 (おおとものくろぬし)(大伴神社 黒主神社 大伴黒主御魂神社)
大阪府富田林市山中田町2-14-31山中田町会館横
●神社正面より
祭神 大伴黒主公
摂社 牛瀧堂
由緒
文政9年ごろ、大伴黒主夫婦の墓のある地を田地して開墾すると、黒蛇があらわれ後、大火災により村の半数が延焼する。此を大伴黒主の祟りと考えその南方の山に野廟を建立し、以後氏神として祀る。
●鳥居、手水
明治42年、美具久留御魂神社に合祀される。昭和32年、山中田有志五名の尽力により氏神として復社される。山中田住人宅に祀られていた牛瀧堂も、この時摂社として祀られる平成13年住宅開発に伴い社を移転現在に至る。
大伴黒主(おおとものくろぬし)は平安時代の歌人。生没年不詳、伝不詳。六歌仙の一。六歌仙の中で唯一小倉百人一首に撰ばれていない。
牛瀧堂内には牛の形代があり農耕の神として祀られる
●本殿と牛瀧堂
■大伴黒主
題しらず
春雨のふるは涙か桜花ちるを惜しまぬ人しなければ (古今88)
【通釈】春雨が降るのは、人々の思いが悲しみの涙となったのだろうか。桜の花の散るのを惜しまない人などいないのだから。
題しらず
玉津島ふかき入江をこぐ舟のうきたる恋も我はするかな (後撰768)
【通釈】玉津島の深い入江を漕いで行く船のように、底知れぬ、不安な思いのする恋をまあ私はすることだよ。
つぐみ (二首)
我が心あやしくあだに春くれば花につく身となどてなりけむ (拾遺404)
【通釈】私の心は、どうしてまあこれほど浅ましく、春になると、花に執着する身となってしまったのだろうか。
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