第二回目葛城古道・南河内の古墳・古社寺⑤橋本院~弘川寺・・・

■高天原の棚田
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●万葉歌碑  巻7-1337
葛城の高間の草野(かやの)早知りて標刺(しめさ)さましを今そ悔しき
高間の里にこんな美しい娘さんがいたことをもっと早く知っていたら、命の限り抱きしめて置くのであったのになぁ、残念!残念! 今となっては既に人妻になってしまったよ!
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■橋本院
金剛山中腹の高台に、宝宥山高天寺橋本院があります。金剛山中腹の、広々とした空間の台地にある寺院を訪れると、心にしみいるような風情があります。
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寺縁起によれば、高天寺は南北朝時代に焼き討ちされたため、以前あった場所から本尊の十一面観世音菩薩立像などを移したとされています。そのときに、すぐ傍の池に橋があったことから、現在の橋本院という名になりました。
●山門                        ●橋本院
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ご本尊の十一面観世音菩薩立像は、木造で、高さが5.4mと大きく、「生かせいのちの本像」として近在の人びとの信仰を集めています。また、その脇には54頭の像にのった善言菩薩、牛王にまたがった大威徳明王が奉納されています。これらが納められている本堂とならんで、弘法大師を祀る大師堂があり、弘法大師座像が納められています。また、寺宝の涅槃像は室町時代のたいへん珍しい木彫の像で、奈良国立博物館に収蔵されています。
●参道                        ●本堂 
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■弘川寺
修験道の開祖である「役の小角」は、約千三百年前に金剛葛城山系で行を積み、吉野大峯を始めとする数々の山岳霊場を開きました。と言うことで、金剛葛城山系一帯には、「役の小角」(えんのおづの)の足跡が今も尚数多く存在します。
●門                         ●本堂
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弘川寺は、天智天皇四年に役の小角によって開創されました。本尊は薬師如来、天武・嵯峨・後鳥羽の三人の天皇の勅願寺となり、その後行基が当寺で連業をし、変遷を重ねて弘法大師が中興しました。西行法師というと吉野を連想しますが、晩年はこちらの境内に庵を結び、彼の終焉の地になりました。
●隅屋                        ●隅屋桜
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西行(佐藤兵衛尉義清)出家の謎
北面の武士として鳥羽天皇の御所に侍っていた時、その中宮待賢門院璋子を知り、恋をした。しかしその身分の違いに到底成就せぬ恋いと諦め、身を引いたらしい!?
●西行墳
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ほとけにはさくらの花をたてまつれ我がのちの世を人とぶらはば[千載1067]
あはれみし乳房のことも忘れけり我がかなしみの苦のみおぼえて
嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな  百人一首86
こころなき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮[新古362]

願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃  山家集上春 77

★世の無常、人の無常を知りて地位も名誉も打ち捨てて世捨て人になる。今の世では考えられない程の純粋さだが・・・。辞世とも思える上の歌からは悟りの心境が見えるのだが・・・。果たして安心立命は得られたのだろうか!?
by barakan1 | 2005-06-03 13:38 | 旅日記
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