■お里沢市の墓
今から300年以上も昔(寛文年間)壺阪寺の麓、大和国高取郷土佐町に住んでいた沢市と云う盲人と妻里の夫婦愛をテーマにした物語、浄瑠璃、歌舞伎、浪曲の「壷坂霊験記」で有名。
■壷坂寺
およそ千三百年まえに弁基という僧が、霊峰に心ひかれて修業していたところ、水晶の壷に観音菩薩が浮かんだので、その壷を坂の上に安置して観音像を彫り本尊とした。これが寺の名前の由来になっているという。最初のころは、金峯山・吉野を中心とした山嶽修験者によってその信仰が広められ、後には浄瑠璃や浪曲によって、日本中の民衆の目をひいた寺である。この寺は目の病に悩む人々を救う観音として広く信仰を集めている。
●壷坂寺全景
●義太夫では、
「三つ違いの兄さんと、言うて暮しているうちに、ベンベン!!情けなやこなさんは…」というサワリの部分。
また浪曲では、
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ…頃は元禄なかの頃・・・」の語り出しの名文句がある。今の60台以上なら大概の人は知っていると思うが・・・。
●壷坂寺仁王門 ●礼堂
●正面より ●多宝塔 ●三重の塔
●大涅槃石像 ●大観音石像
■壷坂寺より明日香方面を望む