●拝の峠より蕪坂塔下王子社へ
(小畑)万葉歌碑より、(拝の峠)案内板の先の鉄塔を右にみて下って行くと急に開けて休憩所がある。また道沿いに小祠がある。蕪坂搭下王子跡と云われている。
■「蕪坂塔下王子」
「蕪坂塔下(かぶらざかとうげ)王子」跡の案内板によれば、熊野御幸の盛んな頃、蕪坂には峠と南麗の二か所に王子社がありました。藤原定家の日記では、峠の王子社は「カフラサカノタウ下王子」と記されており、藤原頼資(よりすけ)の日記では「蕪坂王子」と記されています。南麗の王子社は「山口王子」或いは「宮原王子」です。
ところが『紀伊続風土記』では峠に蕪坂王子・塔下王子の二社があったと記しています。これは藤原定家の日記を読み間違いしたものと思われています。
『紀伊国名所図会』で、「蕪坂王子社、蕪坂の上にあり」と載せられているのが当王子社のことです。と説明されています。
※蕪坂は、下津町沓掛から宮原町道村へ越す坂で、熊野参詣道のうちでも古くから陸路交通の要路であったようです。なお、蕪坂王子社は明治41年に山口王子社と共に宮原神社に合祀されたそうです。
『紀伊国名所図会』には、 「鏑矢もて鹿を射ちし坂なれば蕪坂と名付しにや、峠に茶店あり」と鏑が蕪に変わったものと記されています。
万葉集
巻09-1678
紀の国の昔弓雄(さつを)の響矢(かぶら)もち鹿(か)取り靡けし坂の上(へ)にそある
●太刀の宮付近熊野古道より、宮原方向を展望する
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