八尾市探訪ー心合寺山(しおんじやま)古墳~都夫久美神社~玉祖神社(2013-04-20)②・・・

史跡 心合寺山古墳(しおんじやまこふん)
●学習館と案内図
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心合寺山古墳しおんじやまこふんは、五世紀前半につくられた中河内最大の前方後円墳で、当時この地域一帯を治めた豪族の墓と考えられます。墳丘長は約160mあり、史跡指定範囲の総面積は約30,000平方メートルです。
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墳丘は三段築成で、くびれ部西部に「造り出し」があり、平坦面には円筒埴輪や朝顔形埴輪などが立て並べられ、斜面には葺石が葺かれていました。埋葬施設は、後円部に三つの「粘土槨」、前方部の「方形壇」の下に木簡がありました。後円部の「粘土槨」のひとつである西槨から、甲冑、き鳳鏡、刀剣類などの副葬品が出土しています。
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周辺には、西の山古墳や花岡山古墳など古墳時代前期から中期にかけての古墳が造営されており、心合寺山古墳しおんじやまこふんを含むこれらを総称して「楽音寺・大竹古墳群」と呼んでいます。
平成十七年四月  八尾市教育委員会
◆後円部(墳頂)
●はにわの広場より後円部を見る
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後円部は、古墳の主とも言える王が眠っている大切な場所です。
東西約7.5m、南北約11mの隅丸長方形の大きな「墓壙ほこう」とよばれる穴の中に、東西にならんだ長さの異なる「粘土槨」という三つの埋葬施設が見つかりました。真ん中の粘土槨を「中央槨」(長さ約7.7m)、左側を「西槨」(長さ約7.3m)、右側を「東槨」(長さ約6m)と呼んでいます。
●前方部より後円部を見る
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西槨におさめられていた組合式木棺から、短甲や冑、き鳳鏡、針、勾玉や管玉、竪櫛、三葉環頭太刀をはじめとする刀剣類などの副葬品が出土しています。
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墳頂では、家や蓋(きぬがさ)などの形象埴輪の破片が出土しており、本来は埋葬施設の上にいろいろな埴輪がならべられていたと思われます。ここでは、墓壙と三つの粘土槨の位置を表示しています。
八尾市教育委員会
◆前方部(墳頂)
●後円部より前方部を見る
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前方部は、後円部へつづく通路として意味をもっていました。
前方部に、「方形壇」という東西5.8m、南北8.8mの長方形の壇があったことがわかっています。壇のしたには、埋葬施設があり、人物を埋葬した後、まつりの場としていたようです。
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前方部の墳頂には埴輪が立てならべられて、後円部まで続いていました。埴輪列の外側には、壷形埴輪をのせた大きな円筒埴輪が配置されていました。
●もけいの広場より前方部を見る
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ここでは、方形壇の斜面に葺かれていた葺石の一部と埴輪列を復元しています。円筒埴輪や朝顔形埴輪の並べ方は、古墳が作られた当時を再現しています。
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◆くびれ部
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くびれ部とは、前方後円墳の後円部と前方部のつなぎめ付近を指します。ここでは葺石の一番下に置く基底石が、後円部側の途中で内側に入り、その下に小振りの石が葺かれていました。このような得意な葺き方は、中段だけでなく東側上段でもみつかり、西側上段で反転して復元しています。
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後円部の円と前方部の方形のつなぎめは、図面上では簡単に描けますが古墳時代の土木技術では、設計どおりに盛り土を行うことが難しかったため、最後に葺石で形を整えた痕跡ではないかと考えられています。
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◆造り出し
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造り出しは、墳丘から張り出した方形状の土壇で、埴輪を使っておまつりを行う場所であったと考えられています。心合寺山古墳しおんじやまこふんでは、大きさが東西約6.3m、南北5.6m以上、高さ1.2m以上の造り出しが西側でみつかりました。上面に埴輪は残っていませんでしたが、周辺からは鶏形埴輪や家形埴輪片などが見つかっており、これらの埴輪が張り出しで使われていたようです。
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また造り出しと後円部の間の谷部から「水の祭祀場を表した埴輪」が見つかりました。埴輪は塀を表した囲み部と祭殿と考えられる家部からなっており、床には水を導く樋管を表現しています。これは地域を治めていた王が行っていた水を用いたまつりの場を表現したものと考えられます。
八尾市教育委員会
●古墳全景
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※※桐の木は5世紀前半ごろに造られた全長160mの前方後円墳の後円部(丸い部分)に2本立ち並び、高さは約15mにも及びます。枝先から花長5~6センチの面長な形の薄紫の花を咲かせ、訪れる人の目を楽しませています。
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今年は開花が早く訪問時は」一番いい(満開)時期でした。
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by barakan1 | 2013-04-23 13:46 | 旅日記
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