奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑥奈良豆比古(ならつひこ)神社・・・

●奈良豆比古(ならつひこ)神社      ●「拝殿」
●三神殿                 ●「翁舞」の額
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■奈良豆比古(ならつひこ)神社
 今から1200年前、奈良朝最後7代目、第49代光仁天皇の父・田原太子が病気療養のため、大木繁る那羅山(ならやま)にある一社中に隠居せられる・・とある一社で、毎年10月8日「夜宵宮祭」で、翁講によって奉納される無形文化財の翁舞(おきなまい)が有ります。
 なお、田原太子は天武(天智の弟)系で占められた奈良朝末期、女帝第48代称徳天皇に子がなかったので、天智(天武の兄)系の光仁天皇が即位した時に、その父として甦(よみがえ)り、彼は天智天皇の第7子です。

■「翁舞」が舞われる「拝殿」
 田原太子は、若い時に施基(しき、志貴)皇子と呼ばれ、万葉集に志貴皇子の詠った次の歌が有ります。

むささびは梢(こぬれ)求むとあしひきの山の猟夫(さつお)に会ひにけるかも 巻3-267

采女(うねめ)の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く  巻1-51 

また、田原太子の第2皇子が春日王で、春日王の子が浄人(きよひと)皇子、散楽(さんがく)俳優を好み父の春日王が病になった時、その平癒を祈願し、舞を春日明神に奉納したのが「翁舞」の起源で、その舞は翁と脇の3人舞や互いに対面せずに舞う三番叟と千歳の問答等著しい特徴を持ち芸能史で貴重な存在です。

■奈良豆比古神社の三神殿
 散楽は後の猿楽(さるがく)や能の源流で、明治維新頃迄、歌舞音曲の役者は「奈良豆比古神社」に詣でて興行許可を得なければ興行が出来ず。また、神社が有するお面は、翁、黒色尉、尉、中将、平太、怪士、般若、曲見等の能面と、祖父、武悪、狐、うそぶき、乙等の狂言面、総計25面が奈良国立博物館に保管され、「べしみ面」に、応永廿年(1413年)2月21日と室町時代の刻銘が有ります。
 御祭神は中央が平城津比古神{ならつひこノかみ、産土神(うぶすながみ)}、左が田原天皇と諡(おくりな)をされた志貴皇子で、右に皇子の子の春日王を祀っています。
                     -インターネット奈良観光よりー
★歴史のある、しかも手入れが行き届いた清澄さを感じる神社です。神社裏の樟の大樹(天然記念物)は一見の価値あり。久しぶりに立派だなぁと思える樹にであいました。
またこの神社は志貴皇子をお祀りしています。
by barakan1 | 2005-01-31 18:09 | 旅日記
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