南河内古墳・古社寺探訪②-①允恭天皇陵

●昨日、南河内古墳・古社寺探訪②に行ってきました。コースは以下の通りです。
アベノ橋発~土師ノ里~允恭天皇陵(市野山古墳)~国府八幡神社~志紀県主神社~国府遺跡~伴林氏神社~高鷲駅~雄略天皇陵(高鷲丸山古墳)~アベノ橋着。
●允恭天皇陵(市野山古墳)

南河内古墳・古社寺探訪②-①允恭天皇陵_a0016431_1628477.jpg

■允恭いんぎょう)天皇陵
仁徳天皇の皇子で、履中天皇、反正天皇の同母弟。安康天皇、雄略天皇の父。反正天皇の崩御後、群臣の推挙をうけたが、足が不自由なためにそれを辞退。しかし妃の忍坂大中姫の熱心な請いをうけて即位した(十九代天皇)。  氏姓を偽るものが多く混乱していたため、盟神探湯(くがたち)を行ってそれを正したという。

(返し)
ささらがた錦の紐を解き放(さ)けて数多(あまた)は寝ずに唯一夜のみ    (紀)

■衣通郎姫 (そとおりのいらつめ)
日本書紀によれば、允恭天皇に寵愛されたが、皇后の嫉妬を怖れた天皇により、河内の茅渟宮に移された。
八年の春二月、藤原に幸(いでま)す。密(しのび)に衣通郎姫の消息(あるかたち)を察(み)たまふ。是夕、衣通郎姫、天皇を恋(しの)びたてまつり独り居(はべ)り。其れ天皇の臨(いでま)せることを知らずして、歌よみして曰(い)はく、

我が夫子(せこ)が来べき夕(よひ)なり小竹(ささ)が根の蜘蛛の行ひ今宵著(しる)しも                                   (紀)
                       千人万首より
★允恭天皇はなかなか恐妻家だったようですね!!
これより、実の息子、娘の駆け落ちの話の方がしられていますね。
本当はどうだったのでしょうね!?
by barakan1 | 2004-12-25 16:38 | 旅日記
<< 南河内古墳・古社寺探訪②ー②国... 11℃・・・ >>