高槻市付近探訪(2011.09.26)④笠森神社(笠森稲荷)・・・

笠森神社(笠森稲荷神社)   高槻市西真上1-7
御祭神: 宇賀御魂神
かつては稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)が祀られていたと伝えられています。創建の年月はわかっていませんが、笠森神社の名は稚武彦命、鴨別命を祖先とする笠氏にちなんだもので、在地の領主、真上氏の崇敬が厚かったようです。
●道のドン突きにある神社入口
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この笠森神社、江戸時代には笠森稲荷(かさのもりいなり)と呼ばれ、瘡(かさ=梅毒のこと)を治す霊験があるとされて、多くの人々の信仰を集めていたようです。「笠」と「瘡」は、ともに「かさ」と読むことから瘡毒平癒の神として信仰されたともいわれています。  
江戸時代後期の文化人・大田南畝(蜀山人)の『武江披抄』には、「摂津国芥川瘡守稲荷を屋敷の鎮守へ勧請」とあり、江戸に笠森稲荷が勧請されたことがわかります。記述の屋敷は、のちに療養所がおかれた小石川の白山御殿跡で、その地に勧請されたようです。その後、江戸・大円寺(台東区谷中)へと瘡守薬王菩薩として勧請されました。
●境内及び拝観日の案内板
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『摂津名所図会』によると、芥川・笠森稲荷の霊験は各地に広がり、多くの人がお参りにやってきては、お稲荷さんに土の団子を捧げて病気平癒を祈っていたようです。昭和の初めごろまで、笠森神社には、土の団子を二つ重ねたものが、神前に供えられていたといいます。
また、淀川の三島江浜、唐崎浜から続く道がこの神社のすぐそばを通っており、道沿いには「神峯山寺道」の道標がたっています。江戸時代、商売繁盛を願った商人たちが行き交ったこの道をかいして、笠森稲荷の霊験の情報発信がされていた姿がみてとれるようです。「大王の国から」より抜粋
※参拝日が決められており(1.5.15.25日の8時~17時)となっており、正面の門が閉じられ、参拝出来なかった。(T_T) 仕方なく外から写真を撮る。
by barakan1 | 2011-10-01 18:01 | 旅日記
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