西ノ京、奈良西南部④・・・

●唐招提寺「戒壇」        ●「鼓楼(ころう)」
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■戒壇
栄叡、普照ら留学僧たちは伝戒の師を求めて二十二年の旅をした。その求めに応じた鑑真和上は五度の失敗と失明にも諦めず十二年後に日本の地を踏んだ。

 釈迦が悟りを弟子に伝え、やがて教団が誕生するとその中に規律が必要となる。教団の生活の中で逐次決められていったのが戒律の誕生といわれる。 この戒律を記した経典に『四分律』『梵網経』があるのだが、この二つの関係については私にはさっぱりわからない。

 仏教が中国に渡って、戒律は整備され三師七証による授戒が産まれた。三師七証―三人の師と七人の証人の立会いにより授けられる戒であり、これを受けて初めて正式の僧と認められるわけである。守るべき戒は、僧―僧とは“僧伽(そうぎゃ)=僧侶の集団”を指す事が本来らしい、だから一人の僧侶を指す時はそれと区別する比丘などと云う言葉が使われた―を平和的に維持するために存在した。その為には一人一人の僧侶が常にたゆまぬ内省と自己批判、自己変革を重ねて行く事が必要だった。

 当時、戒には菩薩戒と具足戒とがあった。菩薩戒は僧俗に共通する戒であり、鑑真和上が来日して聖武上皇等に授けたのはこの菩薩戒、僧になるものは沙弥戒、さらに具足戒を受ける。現在、唐招提寺では①形同(ぎょうどう)沙弥戒②法同沙弥戒③具足戒の順番で受けるという。僧になる人だけの世界だから菩薩戒という呼名はなくなったのだろうか。

 この戒を授けられる場が、戒壇である。
唐招提寺の戒壇には現在ストゥーパ=仏舎利塔があるがこれは奈良時代の戒壇には無かったものという。江戸時代には屋根がつけられた事もあったが火事で焼けて以来青天井のもとでの授戒が行われている。授戒儀式は、雨天順延だそうな。
                       ーインターネットtenpyouよりー
■唐招提寺の国宝「鼓楼(ころう)」
 「金堂」と「講堂」の中間東側に建っている重層の建物は、1240年(仁治元年)再建の「鼓楼」で、現在は「舎利殿」になっていますが、毎年5月19日ここで「うちわまき会式(梵網会)」が行われます。この行事は、唐招提寺を中興された覚盛上人が仏堂で修行中蚊に刺され、見かねた小僧さんが蚊を殺そうと したら、上人が「蚊に血を与えるのも功徳の1つ」と諭され、その後、1249年(建長元年)5月19日亡くなった上人の命日に、かって修行の指導を受けた法華寺の尼さんが、可愛いハート形の団扇を供えて、上人の徳を偲びました。そして後、法要で供えられた団扇が参詣の人々に授けられ恒例になったそうです。
                       -インターネット奈良観光よりー   
★「戒壇」について以前より興味があったので、是非今回の訪問では見たいと思っていた。大体イメージ通りであったが・・・。戒壇上のストーヴァだけがチョッと異質な感じがした(最近造られたものだそうだ)。念願がかない感激だった!!
by barakan1 | 2004-11-07 16:38 | 旅日記
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