西ノ京、奈良西南部③・・・

●唐招提寺南門 ●唐招提寺金堂(現在工事中)●      ●講堂
●礼堂     ●             ●経蔵    ●鑑真大和上御廟
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■唐招提寺南門
南門の額は、女帝で第46代孝謙天皇の筆になります。

■唐招提寺「金堂」(現在改装工事中)
唐招提寺は759年(天平宝字3年)天武天皇第7皇子、新田部親王の旧邸宅を鑑真和上が賜って創建したお寺です。南門を入って直ぐ見えるのが天平建築で国宝の「金堂」です。大棟を飾る風雪千二百年の鴟尾は向かって左が古く、右は新しく、また、寄棟造の大屋根を支えている柱はエンタシスで、8本の間隔が左右の端に行くほど少し狭くなって、「金堂」を実際より広く見せています。【千二百年の鴟尾、まじかにみてきました。ボロボロに肌が溶けていて、風雪を偲ばせました!!】

■唐招提寺の国宝「講堂」
「金堂」の後ろに建つ堂が写真の「講堂」で、 奈良時代に平城京で行われた儀式の時、高級官吏人が待機した「東朝集殿」を移築し、屋根の切妻造を入母屋造に改造した建物です。

■唐招提寺の国宝「宝蔵」と「経蔵」(写真は経蔵です)
「東堂および礼堂」の更にその東側に建っている二棟の校倉(あぜくらは)、東大寺の正倉 院の校倉より古く、我が国最古の校倉で、お寺になる前の新田部親王の時代から在りました。なお、髭面の親王は、母が藤原鎌足の娘の五百重女(いおえノいら つめ)で、ある時浮気し「お前の様に蓮が美しく咲く池の畔を通って帰ったよ」と女房に嘘をつくと、焼き餅女房は、万葉集の巻16-3835を詠いました。
勝間田の 池はわれ知る蓮(はちす)無し
 然言(しかい)ふ君が 鬚(ひげ)無き如(ごと)し


■礼堂・東室

■「鑑真和上御廟」
鑑真和上は、揚州大明寺の高僧で、我が国の求めに応じ、度重なる渡航失敗で失明し、6度目にやっと来日されました。

★唐招提寺は「ワビサビ」の言葉がピッタリの幽玄の世界!ともいえそうな雰囲気のお寺でした。薬師寺は華やかで絢爛の美がありますが、ここは何か、その対極にあるような感じがします。どちらか言えば、気持ちとしては唐招提寺の方が合うようなきがします。(目玉である金堂が修理中なのは残念でした。終わるのは5年後だそうです、落慶の時は是非再訪したいとおもいます)
by barakan1 | 2004-11-07 16:05 | 旅日記
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