八尾市内(矢作~~御剣神社)探訪③(2010.05.14)②由義神社(ゆぎ・ゆげじんじゃ)・・・

由義神社(ゆぎ・ゆげじんじゃ) 八尾市八尾木北5-172
祭  神 : 素盞嗚尊、少彦名命
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由来
八尾の地名の由来は、若江郡曙川村八尾木の地名からともいう。
この辺り一帯は、古代より物部の一族弓削部の人々が居住した地域であった。このすぐ近くには矢作部の人々が住んでいた地域もあり、矢作神社が鎮座しているが、やはり、いずれも物部系の、武器の生産をその生業とする一族である。
●由義宮跡の碑
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弓削氏の氏神は弓削神社で、氏寺は弓削寺(竜華寺とも)であった。
由義神社も由緒からみると弓削氏の氏神的な性格をもつものといえる。当社の鎮座地が「由義宮」の舊址というからである。ー続・神々の坐す杜ーより
●境内参道
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◆◆由義宮
大阪府下に八尾市弓削というまちがある。奈良時代に由義宮が営まれ、詔して西京とされた。今の由義神社の境内に由義宮旧址の石碑が建っている。当地は弓削道鏡の本貫地である。道鏡は若い時、郷里の南東、葛木山に入って修行し、如意輪呪法を習得したとされる。良弁や義渕僧正について仏教知識を身につけ、近江保良宮(紫香楽)にいた称徳上皇の看病禅師となり、天皇の病気をなおして以来、天皇の寵愛を得るようになる。
●拝殿・狛犬
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政敵恵美押勝が失脚すると、道鏡はとんとん調子で栄進し、称徳天皇の由義宮への行幸が重なるたびにその地位もあがっていく。太政大臣禅師に上り詰め、神護景雲3(769)年には有名な「道鏡を天位につかせたならば天下大平ならん」という宇佐八幡の宣託が発せられる事態となった。
●拝殿
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和気清麻呂が宇佐八幡に出向き、宣託は否定されたが、その後も天皇の道鏡への傾倒は変わらず、由義宮への行幸が続く。宝亀元(770)年3月、由義宮に行幸した天皇はそこから数キロ離れた博多川(大和川支流の石川)に行幸し遊覧したことが続日本記にみえる。
●石川
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渕も瀬も 清くさやけし博多川 千とせをまちて すめる川かも
乙女らに 男立ちそい ふみならす 西のみやこは よろず代の宮

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●由義神社付近より生駒山を見る
(天皇は山越えでこられたのか、大和川を船で下られたのか)
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このとき葛井、船、津、文、武生、蔵の帰化人六氏の男女230人が歌垣に奉仕している。青摺りのきものに赤い帯を締め、男女が二列になって行進し、冒書の歌をうたい、歌の切れ目ごとに袂を挙げて舞ったとしるされている。情景が目に浮ぶようだ。
●御神前・本殿
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その後、天皇は体調を崩し、4ヵ月後に崩御する。道鏡は捕らえられ、造下野国薬師寺別当に任じられ、宝亀元(770)年8月21日、即日出発させられた。その5日後には、道鏡の本貫地河内職を解き、もとの河内国に戻している。この政変の背後に、どろどろとした権力闘争の臭いがしないでもないが、道鏡もまた権力への酔人であったのだろう。  ー近畿風雲抄 由義宮-八尾市弓削-より
●絵馬殿                           ●天照皇神社
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a0016431_16105529.jpg●狛犬
当由義神社の狛犬は寛政八年丙辰年(1796)江戸邑在村友七氏が氏地繁栄氏子各位と子孫息災の願いを籠めて奉納されたものである。八尾全市の神社四十九社の中第参番目の古き参道狛犬である。狛犬は社殿向かって右側を阿像(雌)と呼び、左側を吽像(雄)と呼び、この狛犬は巻頭様式で腋巻毛、尾形が鮮やかに刻まれている。同年代の狛犬が東京都の品川神社にも奉納されている。奉納されて二百有余年風雨にさらされ破損が著しく進み郷土の文化財を保存する為、覆社を建立し永久に保存することとなる。
平成十四年七月吉日  氏子総代 八尾木町会 中田町会』
※先日、吉備真備と称徳天皇の出るNHKのドラマ(大仏開眼)をしていましたが、いろいろ歴史を想像してみるのも楽しいものです。私は、称徳上皇は本当に道鏡に惚れていたんだと思います。
by barakan1 | 2010-05-16 16:20 | 旅日記
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