八尾市内(八尾~~御野懸主神社)探訪②(2010.05.03)⑦御野縣主(みのあがたぬし)神社・・・

御野縣主(みのあがたぬし)神社  式内社  八尾市上之島町南1丁目71番
●西入口鳥居
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祭神
角凝魂命、天湯川田奈命
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末社 
御野縣主大神(日吉・春日・菅原・天照皇・八幡・厳島・稲荷各大神)
●参道・境内
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由緒
旧河内国河内郡上之島村(八尾市上之島地区)の氏神。かつてこの地一帯を支配していた豪族・美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神を祀る。
●手水舎・狛犬
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創建の年代は不詳であるが、延喜式神名帳に河内国若江郡の御野縣主神社二座と記載されていることから平安時代以前にはあったとされる。明治5年(1872年)に村社に列せられた。
●拝殿・本殿・御神前
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境内西側は小高い丘になっており、かつて西側に流れていた玉櫛川(旧大和川)の堤防跡であり、現在ではここだけにしか残っていないとされる。八尾市の保全樹林に指定され、貴重な史跡となっている。境内の南に御野縣池がある。 
●御野縣主大神末社 (日吉・春日・菅原・天照皇・八幡・厳島・稲荷各大神)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

※◆三野県主:御野県主神社。三野県主一族の祖神を祀る。
●旧大和川堤防跡と神社配置
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饒速日命降臨神話では讃岐三野物部と見えるが、河内の三野県も古い。雄略天皇崩御後、吉備の上道国造の謀反事件に、この地の三野県主小楯が加担したが、謀反は失敗に終わり、この時県主を免ぜられ、郡名も改称されたとの推測が「大いなる邪馬台国:鳥越憲三郎氏:講談社」に記されている。
この一族は天武天皇13年美努連に任ぜら、復権している。
◆この神社の由来を読んだ時に、まず思い浮かべたのが次の万葉歌でした。果たしてこの歌に歌われた「三野の王」はこの神社の祖神「三野県主一族」tと関係のある人物なのでしょか・・・?? 夢が広がりますねぇ~
巻13-3327 
作者未詳 
百小竹(ももしぬ)の 三野(みぬ)の王(おほきみ) 西の厩 立てて飼ふ駒
東(ひむかし)の厩 立てて飼ふ駒 草こそは 取りて飼ひなめ
水こそは 汲みて飼ひなめ 何しかも 葦毛の馬の 嘶(いば)え立ちつる

●神社境内より、生駒山方面を眺める(飛鳥方向を眺める)
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反し歌
巻13-3328 
衣手を葦毛の馬の嘶(いば)ゆ声心あれかも常ゆ異(け)に鳴く
     右二首。
※◇美努王( みののおおきみ)
敏達天皇の孫または曾孫という栗隈王の子。県犬養三千代との間に葛城王(橘諸兄)・佐為王・牟漏女王をもうける。名は三野王・弥努王などにも作る。
by barakan1 | 2010-05-13 14:55 | 旅日記
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