大阪市内(生野八坂神社~横野神社跡)探訪(2010.03.13)⑥横野神社跡・・・終

■横野神社跡(式内社)    大阪市生野区巽西3丁目9
●付近風景(住宅・工場でいっぱいです)
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延喜式内社の神社でもとは印色宮(いんじのみや)と呼ばれていた。 仁徳十三年に、横野堤が築かれたとの記事が『日本書紀』に見える。横野堤の守護神であったのかも知れない。
●正面より見る(西→)
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『式内社調査報告』に伝説が記載されている。
昔、印地宮のあたりに、狭山池から流れる川があり、ある時大雨が降ってその大水で上流から御幣の入った湯桶が流れてき、その中に「式内横野神社」と書かれた神符があり、近隣の村で奪い合ったが、結局流れ着いた場所に小祠を建立したと云う。 印地宮と云う名と狭山池を造ったとされる印色入日子命の名が似ていたからであろう。
なお、他の地域の人々は「ねんじの宮」と呼んだ。ねじれる・こじれるの意である。ー神南備にようこそーより抜粋
●神社跡
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山小路(史跡 山小路案内板ーより抜粋)
生野区巽南一丁目一番の界隈は、河内國渋川郡四条村(元桑原庄)字山小路である。山小路は山号も小丘山という定願寺の、開基正長に係る記録巻物にある通り、自然堤防である平野川右岸提より、東へ分岐するやく一丁程の堤と、その堤に付随する堤の内側(南側)の一帯をいう。
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この山小路の堤が、日本書紀に仁徳天皇の十三年(326)に築かれたとある「横野堤)である。
川島村の村名が島というがごとく、山小路より北は玉造江という難波の入江であった。横野堤である山小路の堤は玉造江からの入り汐に、両手を広げて立ちはだかり、山小路にあったと歴史に名高い古社「横野神社」を守ったのである。まさに神社と堤が一体となった古い携帯をなしている。
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明治に至って、町村制施行に伴う巽神社への合祀には、山小路の村社天神社である横野神社から御霊を巽神社に写したが、今日、神社跡には「横野神社跡」の碑が立つのみである。
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万葉歌碑
巻10-1825
むらさきの根延(ば)ふ横野の春野には君を懸けつつ鴬鳴くも

藤原家隆
紫の根はふ横野の春駒は草のゆかりになつくなりけり

山家集 西行法師
すみれ咲く横野の茅花(つばな)咲きぬれば思ひ思ひに人通ふなり

続古今和歌集 藤原光俊
霜枯れの横野の堤風さえて入汐遠く千鳥鳴くなり

※むらさきの根延(ば)ふ横野も現在はこのとおりです。川の流れも入江もなく、一片の痕跡もなく、唯々家が詰まっています。
by barakan1 | 2010-03-26 19:20 | 旅日記
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