信貴山探訪(2012.03.30)④朝護孫子寺・・・(終)
■信貴山 朝護孫子寺   奈良県生駒郡平群町大字信貴畑2280
●信貴山全山遠望
●信貴山
今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。
●楼門
太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。
●鳥居
太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

●朝護孫子寺
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。
●張り子のトラ
加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。
●本堂
よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。
●本堂からみる矢田谷方向
また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
ー朝護孫子寺 公式ホームページーより  ★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
# by barakan1 | 2012-04-26 12:17 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
信貴山探訪(2012.03.30)③奥之院・・・
信貴山奥の院(多聞院)    奈良県生駒郡平群町信貴畑1474   
●社頭案内板より
一. 開基 聖徳太子
一. 本尊 汗かき毘沙門天王
一. 焼米 湧出の霊場
●鐘楼                    ●深沙(じんじゃ)堂(※)
当寺は信貴山塔頭なりしも今は奥の院と称す。初め太子用明天皇の二年守屋御征伐の御時尊天当山に御出現万戦必勝の秘法を授給う。
凱旋後太子御自作の汗かき毘沙門天を奉祈し当寺を建立す。焼米地中より出で大楠公の幼名多聞丸は蓋し当院に因まれしものなるべしと伝る。』

●信貴山奥の院 公式HPより
毘沙門天様は、寅の年・寅の月・寅の刻に御出現されました。
聖徳太子守屋大連御追討の御時、毘沙門天王が阪部大臣に化現して先鋒を振われ、御尊像が汗をかかれていたと伝えられております。
よって当山は聖徳太子開基の信貴山奥之院、毘沙門天出現最初の地とされ、ご本尊は『汗かきの毘沙門天王』と呼ばれ、千三百有余年の今日に到るまで御霊験きわめてあらたかであります。また境内地より『焼き米』が出土する霊地でもあります。
※境内の「深沙(じんじゃ)堂」の祭神「深沙大将軍」は、砂漠で三蔵法師を助けた印度の竜神、水軍の大将で、また、楠正成は幼名「多聞丸」を当院で貰いました。
# by barakan1 | 2012-04-03 11:38 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
信貴山探訪(2012.03.30)②奥之院(への道)・・・
信貴山奥之院   奈良県生駒郡平群町信貴畑1474
●奥之院への道
近鉄信貴山下駅寄り西へ坂道を登りつめると、西和清陵高校があり、県道238号線に当たる。
それを右折道なりに進むと、238号と奥之院への道(信貴フラワーロード)の三叉路に出る。
やや登りの多い道を2㌔ばかり進むと、県道250号との交差点に出る。
この交差点を右折すぐに、左の急勾配の下りの枝道に入る。
この細い田舎道を500mほどダラダラ下ると、、高野山真言宗信貴奥院米尾山「多聞院」があります。
聖徳太子らが物部守屋を討伐して、凱旋の後、太子自ら彫られた本尊「汗かき毘沙門天王」を奉祈し当山を建立され、
昔は信貴山の塔頭の1つでしたが、現在は信貴山「奥之院」と称し、大和北部八十八ケ所第45番霊場で、
焼米が地中より出て、「焼米涌出の霊場」として知られ、多聞天の変身した姿の秘仏「毘沙門天立像」を毎年正月と7月3日の大祭に開扉される。
※★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
# by barakan1 | 2012-04-01 21:40 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
信貴山探訪(2012.03.30)①コース概要
信貴山探訪
暖かい予報なので、探訪に出掛けることにする。
10時半天王寺発~信貴山下着11時~徒歩で奥之院を目指す、12時着。思ったより登りがきつく、それに距離もあったので、ヘロヘロになってしまった。改めて体力の衰えを知る。
12:30奥之院発~13:15仁王門着、食事後境内を急ぎ回る(今日は本堂だけが目標(時間がないのと、体力の限界)12:50信貴山発~15時信貴山下駅~16時天王寺着。歩数19500歩でした。 久しぶりに、長く歩いたので疲れました。
次回は車の予定です。(高安山も探訪したいのですが・・・)
■探訪コース
# by barakan1 | 2012-04-01 21:27 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑧熊野那智大社・・・終
熊野那智大社   和歌山県東牟婁郡本宮町本宮
●参道・一の鳥居
御由緒
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
●二の鳥居
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」伊弉冉尊(いざなみのみこと)をおまつりしていたのであります。
●境内全景
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
ー熊野那智大社HPーより
※昨年の台風12号の大水による崖崩れで社殿が埋まり、未だ復旧工事が続けられていました。早く元のような優美で美しい社殿に戻ることをお祈りいたします。
◆◆    (社殿名) (祭神名)
第一殿   滝 宮    大己貴命(おおなむじのみこ)
第二殿   証誠殿    家都御子大神(けつみこのおおかみ)、   素戔嗚尊 
第三殿   中御前    御子速玉大神(みこはやたまのおおかみ) 、伊弉諾尊 
第四殿   西御前    熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、伊弉冉尊
第五殿   若 宮    天照大神(あまてらすおおかみ)
第六殿  (八社殿) 禅師宮  忍穂耳尊(おしほみのみこと)
聖 宮       瓊々杵尊(ににぎのみこと)
児 宮            彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
子守宮           鵜?草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
一万宮           国狭槌尊(くにさづちのみこと)
十万宮           豊斟淳尊(とよくもぬのみこと)
勧証十五所         泥土煮尊(うひじにのみこと)
飛行夜叉          大戸道尊(おおとのじのみこと)
米持金剛          面足尊(おもだるのみこと)
※第四殿(西御前)におまつりしている熊野夫須美大神・伊弉諾尊(いざなみのみこと)が当社の御主神であります。
●八社殿と御縣彦社(工事中)           ●樹齢約850年と推定される樟の大木
※平重盛が造営奉行をした折、手植えしたものと伝えられています。★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
# by barakan1 | 2012-03-11 13:32 | 旅日記 | Trackback | Comments(1)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑦青岸渡寺・・・
那智山 青岸渡寺 (せいがんとじ)  和歌山県那智勝浦町
●参道石段
仁徳天皇時代(313-399:神代)に裸形上人(らぎょうしょうにん)の開基とする。裸形上人は、インドより熊野浦に漂着した僧で熊野各地を巡歴し、那智駅前の補陀洛山寺などを開いたとされている。
●楼門
正式には、推古天皇(554-628)の時代に、大和の生佛上人が来山し如意輪観音像を刻み本堂を建立した。
●三重塔
那智山は、もともとは熊野権現を祀る神仏習合の地であり、熊野三山の主神である本宮の家津御子(けつみこ)神が阿弥陀仏、新宮の速玉(はやたま)神が薬師如来、那智山の結(むすび)神が千手観音を本地仏としていた。
●本堂
明治の廃仏毀釈・神仏分離により那智山は、熊野那智大社と分離され、青岸渡寺には本堂だけが残った。
●神社境内より見る、三重塔と那智の大滝
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# by barakan1 | 2012-03-09 15:37 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑥夫婦杉~多富気王子跡~飛瀧神社・・・
熊野古道大門坂
古来より、多くの参詣者たちを受け入れてきた熊野古道。大門坂は、その面影をもっとも色濃く今に残している場所です。
●夫婦杉
参道入口付近に対の大杉「夫婦杉」が門のように立っています。高さ55m、幹周り8.5mの大木です。
●多富気王子跡
夫婦杉から大門坂に足を踏み入れると、うっそうとしたスギ、ヒノキ、クスノキなど樹齢600年以上の木々の木漏れ日が苔むす石畳の上に落ち、その美しさに思わず息をのみます。その大門坂を進んでいくと、熊野参詣道中辺路にある最後の王子社、多富気王子(たふけおうじ)があります。
この多富気(たふけ)王子は、樹霊や峠の神仏に「手向け(たむけ)」をした場所でもあり、本宮の祓戸(はらいど)王子のように、那智山の霊所に入ることを確かめて身心を清める場所であったと考えられています。現在、那智大社一の鳥居の左に児宮(ちごのみや)としてお祀りしています。

別宮飛瀧神社  和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山一番地
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸”にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大滝をさぐリ当てられ、神としておまつりになって、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和へお入リになった」と記録されています。
千古の老木におおわれた原生林のあいだに光り輝く「那智大滝」の神秘性はいまも昔もかわることのない姿です。
俳人・高浜虚子
神にませば まことうるわし 那智の滝
と詠んでいます。
※去年の台風12号の大水による影響で、滝壺下には大石がゴロゴロと散乱し、流された材木もまだ片付けられずに残っているものもありました。★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
# by barakan1 | 2012-03-08 16:30 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑤熊野速玉大社・・・
熊野速玉大社
●神社正面
熊野三山のひとつ。もともとは、速玉大社から南へ1~2km行った千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたのが、のちに現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対し、ここを新宮と呼ぶようになったということです。
●入り口鳥居と参道
御主神 結宮   熊野結大神(くまのむすび)「伊弉冉命」  
御主神 速玉宮  熊野速玉大神「伊弉諾命」
●熊野速玉大社参詣曼荼羅
●神門
創祀
「熊野権現御垂跡縁起」によると、往昔、熊野神が各地遍歴の後に、伊予、淡路を経て新宮の南の神倉山に祀られ、さらに阿須賀社の北、対岸の石淵(三重県鵜殿村矢淵)に遷られたのであって、始めは結(結神)、早玉(速玉神)と家津美御子神を二社殿に奉斎していた。
●拝殿と第一殿・第二殿
「熊野年代記」には、安寧天皇十八年(紀元前566)に新宮の神倉に祀られ、貴祢谷(石淵)へ遷り、孝昭天皇五年(紀元前480)に二社殿を建立して、熊野三所権現(結、速玉、家津美御子)を奉斎したと伝える。
諸説によって考察すれば、まず熊野三山の中心の早玉(熊野速玉大神)、結(那智大社・熊野夫須美大神)、家津美御子(熊野本宮大社御主神)の三柱が神代の頃に神倉山に降臨せられ、景行天皇五十八年(129)に、社殿を現在の処に築営して結、速玉の二神を御奉遷申し上げたと思われる。
●社殿全景
熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年に、熊野三所権現降臨の元宮「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を遷って遷宮したことから、旧社地に対して、現社地に新しく宮殿を造立したので新宮と号したと古書に記されている。
その後、熊野信仰の興隆にともなって、次々と諸神を追祀し、平安時代に現在の十二社殿並立の社頭を構成したものと思われる。-熊野速玉大社御由緒より-
◆◆ 社殿名祭神名
上四社  第一殿 速玉宮熊野速玉大神・伊邪那岐大神
      第二殿 結宮 熊野夫須美大神・伊邪那美大神
      第三殿 証誠殿家津美御子大神・国常立尊
      第四殿 若宮天照皇大神
                 神倉宮高倉下命
中四社  第五殿 禅児宮忍穂耳尊高倉下命 おしほみみのみこと
      第六殿       聖宮瓊々杵尊 ににぎのみこと
      第七殿 児宮  彦穂々出見尊 ひこほほでみのみこと
      第八殿 子守宮うが草葺不合尊(う=慮+鳥、が=茲+鳥)
下四社  第九殿 一万宮
                 十万宮国狭槌尊       
    第十殿 勧請宮泥土煮尊 うひじにはにのみこと
    第十一殿       飛行宮大戸道尊 おおとのじのみこと
    第十二殿       米持宮面足尊 おもだるのみこと
●境内社 新宮神社、熊野エビス神社。
神門の外には八咫烏神社、かぎの宮 手力男神社、熊野稲荷神社
●国の天然記念物梛(なぎ)の大樹
熊野速玉大社の境内に立つ推定樹齢1000年の梛(なぎ)の大樹。
平安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられ、梛としては日本最大です。
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# by barakan1 | 2012-03-07 16:56 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)④大斎原(おおゆのはら)・・・
大斎原(おおゆのはら)
●大鳥居と参道木立
熊野本宮大社がもともとあった場所。熊野川と音無川の中州でしたが、明治22年(1889年)の洪水で社殿が流出、上四社は現在地に移築されました。
●大斎原案内板
※『長寛勘文』に記載された『熊野権現垂迹縁起』によると、
熊野権現は唐の天台山から飛行し、九州の彦山(ひこさん)に降臨した。それから、四国の石槌山、淡路の諭鶴羽(ゆずるは)山と巡り、紀伊国牟婁郡の切部山、そして新宮神倉山を経て、新宮東の阿須賀社の北の石淵谷に遷り、初めて結速玉家津御子と申した。
●社殿跡
その後、本宮大湯原イチイの木に三枚の月となって現れ、これを、熊野部千代定という猟師が発見して祀った。これが熊野坐神社の三所権現である。
とあり、イチイという木に熊野三所権現が降臨したと語られます。
左(西)に中四社・下四社、右(東)に元境内摂末社をお祀りしています。
ちなみに本宮大社は、明治期まで「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」と称されていた。
●石祠 (向かって左)に中四社・下四社、(向かって右)に元境内摂末社

◆音無川を詠う
拾遺和歌集(巻第十二 恋二 750)
清原元輔 (しのびて懸想し侍ける女のもとに遣はしける)
音無の川とぞついに流(ながれ)ける 言はで物思(おもふ)人の涙は
夫木抄 
後鳥羽院(28回もの熊野御幸を行った)
はるばるとさかしき峯を分け過ぎて音無川を今日見つるかな
◆熊野河を詠う
新古今和歌集(巻第十九 雑歌中 1908)
後鳥羽院 (新宮に詣づとて、熊野河にて)
熊野河くだす早瀬のみなれざほ(お)さすがみなれぬ波のかよひ路(ぢ)
続古今和歌集(巻第七 神祇歌 739)
後嵯峨院 (くまの河の舟にて)
熊野河せきりにわたす杉舟のへなみに袖のぬれにけるかな
●熊野坐神社水害前の写真(案内板より)
# by barakan1 | 2012-03-06 18:48 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)③熊野本宮大社・・・
丹敷浦(にしきうら)   勝浦~(浜の宮を通過)~新宮~本宮大社へ
この付近で丹敷戸畔が誅せられ一味郎党の血潮が流れてこの周辺の海水が赤く染まったので、この海辺を赤色の浜と名づけた。
<熊野巡覧記>「浜の宮に錦の古名有、今赤色の浜の本名千尋の浜也。神武帝丹敷戸畔と戦い給ひし海辺血に浸しければ血色の浜とも名づく。」
<熊野歩行記>「丹敷浦 渚の浜の海辺を云うなり。赤色 那智の社渚宮東6丁にあり千尋浜とも云う

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)   田辺市本宮町本宮1110
●168号線を熊野川沿いに遡る
●本宮大社正面鳥居
古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
●参道
鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。158段の石段を登りきると、正面に神門があり、向かって左手のほうには真新しい礼殿(拝殿)が見えます。
●境内社
●拝殿・神門・札所
●神門
神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。
●社殿前全景
神門の先、中央にあるのが第三殿。この第三殿が本社です。「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。
家都美御子大神という名はのちに付けられたもので、平安初期には熊野坐神(くまのにいますかみ)と呼ばれていました。「熊野にいらっしゃる神」、なんだかとても自然でいい感じです。
●第一殿よりみる
向かって左に、第一殿・第二殿の相殿。相殿のため、第三殿や第四殿よりひと回り大きく、また、この相殿の正面に礼殿があるため、相殿が本社のように見えるかもしれませんが、中央の第三殿が本社で主神を祀っています。
●第四殿よりみる
【熊野三山は共通に家都美御子神・牟須美神・速玉之神の3神を祀っていますが、それぞれの主神は異なっています。家都美御子神は本宮、熊野牟須美神は那智、御子速玉之神は速玉の主神です】 ー(熊野の観光名所)ーより
●大斎原(おおゆのはら)より本宮大社をみる(中央の山)
◆熊野本宮大社の社殿・祭神・本地仏
第一殿  西御前    熊野牟須美大神・事解之男神・伊弉諾尊      千手観音
第二殿  中御前    速玉之男神                        薬師如来
第三殿  證証殿    家都美御子大神                     阿弥陀如来
第四殿  若宮      天照大神                         十一面観音
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# by barakan1 | 2012-03-05 13:49 | 旅日記 | Trackback | Comments(0)
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